沢渡温泉 龍鳴館の湯 一浴玉の肌
沢渡温泉
龍鳴館の湯について
沢渡温泉は泉質が自慢の「一浴玉の肌」
01
沢渡温泉とは
"秘湯"と呼ばれ…
沢渡温泉の泉質は「カルシウム・ナトリウム 硫酸塩・塩化物温泉」です。
無色透明の硫酸塩泉は、弱アルカリ性で肌ざわりが軟らかく、入り心地のなめらかさは元祖美肌の湯とたたえられ、「一浴玉の肌」といわれるようになりました。古くは源頼朝や木曾義仲、十返舎一九、近代では若山牧水(文学者)や高野長英(蘭学者)、福田宗禎(医師)らにも愛された温泉です。
草津温泉は、昔から湯治場として、そして近代は保養地として全国的に有名な温泉で、その湯は「強酸性」。
暮坂峠が草津温泉への幹線道だったころ、ここ沢渡温泉は草津温泉の強酸性の湯で荒れた肌をすべすべに戻す「仕上げの湯」「あがり湯」あるいは「なおし湯」としてなくてはならないものでした。
お隣の六合村、「冬住みの里資料館」にある明治6年発行の温泉番付を見ると、東の大関は(当時横綱ははなく最高位は大関)「草津温泉」で、中央の勧進元の欄に沢渡温泉の文字があります。その後、昭和20年の大火により、温泉街は壊滅状態に。新しい道路の建設など時代の流れの中で、今では"秘湯"と言われるようになりました。
しかし今も、この泉質を知る人は、遠方からわざわざこの湯につかりに来てくれます。治療に温泉を利用した沢渡温泉病院もあり、やはり泉質の良さは超一級品です。
効能は切り傷・やけど・神経痛・リュウマチ・運動麻痺・慢性消化器病・痔・冷え性・糖尿病・婦人病・病後回復期・水虫など。外胚葉由来組織に効能ありとされています。
龍鳴館は源泉100%かけ流しの湯、飲泉もできます。入って良し、飲んで良し、飲泉もできる泉質自慢の温泉宿です。
中央、勧進元に沢渡温泉の文字があります。
資料提供:冬住みの里資料館
龍鳴館は、正栄館の前身「旅館新叶屋」として源泉のすぐ下に掲載されております。
(資料提供:唐澤満吉様 沢渡温泉街の頂上の手打ちそば「よしのや」さんにもこの現物があります)
02
龍鳴館の湯
温泉通に認められて
龍鳴館は沢渡温泉街のほぼ中央に位置する、大正時代から続く老舗旅館です。
源泉に最も近い施設で、源泉100%かけ流しの泉質の良さが自慢です。
湯船に絶え間なく流れ続ける湯は、湯量も豊富、24時間ご利用可能です。あせも、湿疹 皮膚に優しい美人の湯です。
無色透明な温泉に、ぎゅっと成分が詰まっています。
※湯の花が多すぎるため一部濾過させていただいております。
カランのお湯にも温泉水を利用しております。大切に使ってくださいね。
貸し切りでのご利用ができますので、お申し付けください。
03
源頼朝 腰掛け岩
龍鳴館ゆかりの人たち
沢渡温泉の発見は建久2年(1191年)と言われています。
源頼朝が征夷大将軍となったのち、建久4年に富士の裾野で大規模な巻狩りをしたことはよく知られています。建久2年に浅間山麓で小手調べの射狩りを催した際、三原の本陣からの帰途草津温泉に入浴し、その後当温泉に入浴したと言われています。
草津温泉で荒れた肌があまりにもきれいになったので、以来美人の湯と言われ、草津のなおし湯と知られるようになりました。大浴場の傍らにある岩は、源頼朝公が当時野湯だった当温泉に入浴の際に腰掛けられたものとして伝えられています。
しかし、昭和20年の沢渡温泉大火の炎をかぶったため、現在ではかろうじて原形の名残をとどめているに過ぎない状態です。地上に出ているのはわずかですが、縦長の岩で、下部は地中深く埋まっています。
当時の建物は昭和20年の沢渡の大火でなくなってしまいました。大火の後、近くの源泉から引いた温泉と、わずか4部屋の旅館を再建し、その建物を中心に現在に至っています。「源頼朝の腰掛け石」もそんな源泉脇にありました。
ぜひ、お話を聞きに来てください。
04 日帰り入浴
龍鳴館では日帰り入浴を受けております。
人気の共同浴場。
龍鳴館の湯と合わせてぜひ両方お楽しみください。